2022.03.24 | コラム |
私がまだ幼いころ、お葬式から帰ってきた人たちが自宅に入る際、塩を体に振りかけて玄関に入る様子をおぼろげに覚えています。近年では私たちの地域の福岡県大牟田市、熊本県荒尾市・玉名市では殆ど見かけなくなっております。
現在、私たちの地域では神道以外のお葬儀では会葬返礼品と「清めの塩」を同封しなくなりました。そのため、このような風習をみかけなくなりましたね。特に、若い人たちはご存じない人が多いのではないでしょうか?
神道以外では死を穢れと考えないため、「清めの塩」が使われない事が多いです。特に浄土真宗は、死を穢れた不浄なものとする考え方に否定的です。私たちの地域では、浄土真宗の方が数多くいらっしゃいますので「清めの塩」を見かけることの方が少なくなりました。その一方、「清めの塩」は日本の習俗であるという考えからその使用を容認している宗派もあります。日本では神仏習合の影響によって神道と仏教の教えが混ざり合っているため、仏式の葬儀であっても「清めの塩」が用意されることがあるのです。
私が幼いころ、葬儀に参列したあと会葬返礼品とお礼状とともに、小さな紙の袋に入った「塩」が同封されていました。この「塩」は「清めの塩」と呼ばれ、体の穢れを払って清めるために使います。今でも、同封されている地域はあるようです。
誰かの葬儀というのは思いがけずやってくることもあるので、慌てないためにも細かいマナーを知っておくことが大切です。今回は「清めの塩」の由来と適切な使い方について紹介します。
「清めの塩」には、穢れを家に持ち込まないように体を清めるという意味合いがあります。もともと神道では死を穢れと考えたため、塩を使って穢れを祓い、体を清める習慣ができたのです。間違ってはいけないのが、大切な人を亡くしたことで「気が枯れる(元気がなくなる)」から「気枯れ(けがれ)」とも言われ、「清めの塩は故人の霊を祓うためのものではありません」。人の死には邪気が寄り付くとされ、この邪気を祓うために清めの塩が使われるようになったのです。つまり、「清めの塩」には故人を冒涜するような意味はございません。
葬儀のあとに「清めの塩」を受け取った場合には、家の玄関の前で体に塩を振りかけるようにします。一軒家ならば門に入る前、集合住宅なら玄関に入る前に行うとよいでしょう。一人の場合は自身で振りかけますが、家族がいる場合には家族に外に出てきてもらって振りかけてもらいましょう。
「清めの塩」は胸、背中、足元の順番で振りかけ、手で軽く払うようにします。近年では足元のみに塩をかけるというやり方もあるようです。
「清めの塩」に対する考え方は宗派によって大きく変わります。仏教以外でもキリスト教や天理教・金光教・PL教などの神式でも死を穢れとしての教えはなく、「清めの塩」を使うかどうかは個々の判断に従いましょう。葬儀後に塩を渡されたからといって使わなければならないということはありません。逆に、塩を渡されなかったけれど「清めの塩」をしたいという方は、玄関先に塩を撒いてから家に入るとよいでしょう。
葬儀のマナーも時代と共に少しずつ変わってきています。小さな小さな豆知識と思っていただければ幸いです。
かずやコスメディア 田中 英太郎