お知らせ

2023.10.5コラム

日が落ちるのも徐々に早くなり、夜も少しずつ涼しくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

昨年、9月に入社して、早1年が経ちました。お客様を担当させていただいた数は、まだまだ少ないのですが、先日、初めてキリスト教のお客様をご担当させていただくことがありました。

キリスト教のご葬儀は、参列者としても経験したことがありませんでしたので、とにかく、ご担当の牧師様に、いろいろと質問をいたしました。

故人のご自宅に牧師様がみえられたときに、遺族の皆さんとお祈りをされました。その時に「パン」という単語が出てきました。

 わたくしごとですが、私の家にはホームベーカリーがあり、週に1回程度パンを焼くことがあります。普通の方より私はパンが好きな方だと思います。そのため、聖書の一文に「パン」が登場したことに、とても驚いてしまいました。

 聖書において、「パン」が登場する場面は、新約聖書のいわゆる「最後の晩餐」です。イエスがローマ総督府に引き渡される前に、弟子たちと最後の食事を共にし、自分の記念としてこの食事を行うよう命じたことが記されています。これが「最後の晩餐」です。共観福音書によればイエスは「パン」を取り、「これがわたしのからだである」といい、杯をとり「これがわたしの血である」といって弟子たちにワインを与えました。

パンとワインを、自分の体と血として弟子たちに飲食させることには、自分の死によってもたらされる贖罪と救済に彼らを与らせ、神との交わりに参入させようという意図を読み取ることができます。この儀式を繰り返し行うようにというイエスからの指示は、弟子たちがパンとワインを飲食する度に、イエスの死の意味を心に刻み、その都度新たに救いの力に与るようにという、イエスの願いを表すものなのでしょう。最後の晩餐物語を伝える 1 世紀のキリスト教徒たち は、そのような認識をもってパンとワインによる儀式を行い、それらをキリストの体と血として飲食していました。

 

 普段何気なく食べているパンですが、「キリスト教」においては、とても重要な役割を担っているということに、とても驚きました。

 つたない文章におつきあいいただき、ありがとうございました。

 

かずやコスメディア 東 利廣


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