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2024.06.12コラム

6月は梅雨の時期ということもあり星空を眺める機会は少ないかもしれませんが、雲に遮られ目には見えずとも、星々の光は絶えずそこに存在しているというのはよく知られている話です。特に意識していなくとも、ふと夜空を見上げた時に、雲の切れ間から覗く星明りに心が安らぐようになったのは、私も歳をとったということなのかもしれません。

 

星明りや月明りの他にも、高台から見下ろす街の灯り、多種多様な照明器具やキャンドルに至るまで「光」というのは人々に様々な感情を湧きあがらせることがあります。時としてそれは宗教的な意味合いを持つことも少なくはありません。

 

 キリスト教では宇宙の創造は「光あれ」という神の言葉で始まったとされ、仏教では光(光明)を仏の智慧の象徴と受け止め、この智慧の光には私たちの迷いを破る力があると説いています。それだけ、「光」というものには特別な力があると信じられていたということでしょう。

 

 かずやコスメディアの斎場がある玉名、荒尾、大牟田地域では浄土真宗の門徒の方が多くおられますが、ご自宅の仏壇にある本尊を仰ぎ見れば、阿弥陀如来の背後には「後光」がさしているのが分かると思います。

「後光」という言葉自体には複数の意味がありますが、仏や菩薩の身体から発する「光」としての「後光」が皆様にとってイメージしやすいものなのではないでしょうか。よく「後光がさして見える」という使い方をされますが、これは「仏さまが放つ光のように輝いて見える」という意味で使われます。相手に対して『本当にありがたい』と思うような状況、相手が『神々しい』と拝みたくなるような状況で、しばしば使われているようです。

 

 日常の会話の中にも溶け込んだ「後光」。実は意外なところにもその影響を受けたものが存在していることを皆様はご存じでしょうか?

 それが「あみだくじ」です。

 

「あみだくじ」が漢字で「阿弥陀籤」と書くことから、なんとなくお気づきの方もいらっしゃったかもしれません。

 皆様になじみのある「あみだくじ」の形状からは想像がつきづらいですが、元々は現在のはしご状ではなく、中心から放射状に広がる円形の形をしており、現在のくじの横線にあたるものもありませんでした。その形状が阿弥陀如来の「後光」のような形だったので「あみだくじ」と呼ばれるようになったというわけです。

 

 阿弥陀如来の発する「光」が言葉を変え、形を変えて庶民の生活の中に徐々に浸透していく様子は、そこに姿形はみえずとも、どこかから見守っていてくださっているという安心感を抱かせてくれるものなのかもしれません。

 つらく悲しい出来事にうつむき歩く人々の頭上に、ほのかに星明りが浮かんでいるように、気づいていないだけでいつもどこかで誰かが見守っていてくれる。そんな風に感じることができるなら、それはとても幸せなことなのかもしれません。

 

かずやコスメディア 北原


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