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2022.10.17コラム

やっと秋めいて、夜風が心地よく感じられる季節になってきました。

 さて、今回は私がかずや業務部(葬儀部)に入社して間もない頃、衝撃的な葬儀に直面し、葬儀の仕事をやって行く自信がなくなった時、その壁を乗り越えるきっかけとなった1つの雑誌の記事を紹介させて頂きたいと思います。

 それは、入社して1∼2か月が過ぎたころだったと思います。ある若いお母様が亡くなられて、有明大斎場(現 葵ホール)で葬儀が行われていました。場内は故人の夫と子供様をはじめ、参列者も若い女性方とその子供様方であふれ、すすり泣く声で溢れていました。私にとって初めての強烈な悲嘆を目の当たりにし、余りにも悲しすぎて涙が止まらなかった事を覚えています。「自分にはこんな葬儀の担当者なんてできない・・・」葬儀終了後も余韻は解けず、ショックが抜けませんでした。

 当時、私は葬儀について知識を身に付けようと色んな本や雑誌を読んでいたところ、ある業界紙の中の納棺師の体験記事に目が止まり、目からうろこが落ちました。

 それは、入社3年目の納棺師の話で、仕事に慣れてきてどんなご遺体でも扱えると自信がついてきた頃に若い母親の納棺をされた時の話です。

 準備が整い納棺の儀式を始めた時、母の死をまだ知らされてなかった小学生の子供が帰って来ました。その時、納棺師は子供が大泣きするだろうと思ったそうです。しかし、その子は母親のそばに座り握りこぶしをつくって口をぐっと閉じて泣きませんでした。周りの人が「泣いてもいいんだよ」と言っても泣かない・・・

 周りの人の話を聞くと、その子はお母さんと約束をしたそうです。「お母さんが死んでも泣くのは2人きりになった時にしてね。あなたが泣くとみんなに迷惑をかけるから」と小学2年生の子が約束を守り、耐えていたそうです。その時納棺師は自分自身の自己満足でご遺体をきれいにしたいと思っているだけではないか。「きれいになりました。ありがとうございました。」と言われたいだけでやっているのではないか。と思い、いかに早く遺族にご遺体を返してあげるかが一番の尊厳だと気付き、できるだけ早く納棺を済ませて部屋を出て、戸を閉めた瞬間、その子の大泣きする声が聞こえてきたそうです。

 それぞれの事情が分かったうえで、最善の仕事をする。誰が一番つらいのか。誰のための葬儀なのか。自己満足ではなく喪家のための葬儀であること。我々はそのお手伝いをさせて頂いている事を改めて認識させられた気がしました。私は今でもこの記事を読むと初心に戻ります。これからも、初心を忘れず精進して参ります。

 

かずやコスメディア  田中英太郎


2022.10.5コラム

カルピスって、おいしいですよね? タイトルで書いておきながら、改めて冒頭で書くあたり、私がどれだけカルピスが好きなのかがわかろうというものです。

 子供のころに初めて飲んだときの、あの甘さ。原液をグラスに注ぎ、氷を入れて水で薄めてかき混ぜたときの、カラカラと鳴るあの響き。それを作ってくれた母の優しさとともに、その衝撃を私は鮮明に覚えております。大人になって飲む頻度は減りましたが、たまに飲む機会があると懐かしさとともに子供のころの情景がよみがえってくる、私にとってはかけがえのない味でございます。

 前置きが長くなりましたが、実はこのカルピスという商品名。仏教由来の言葉だというのはご存じですか?

 正確には、カルシウムの「カル」とサルピスの「ピス」を掛け合わせた造語だということです。

 このサルピスというのは、インドの発酵乳製品サルピルマンダの一つ前の発行段階のもので、そのあまりのおいしさから仏教ではサルピルマンダという言葉を「最上の教え」という意味で使用していた、という話もあります。そのため当初は「カルピル」と名付ける予定だったそうですが、語呂が悪いので一つ前の段階のサルピスからとって「カルピス」になったということです。

 なじみのある味がこのような形で宗教と通じていると思うと意外に思うかもしれませんが、身近にある仏教由来の言葉というのは意外と多く、例えば

 

・「玄関」…「玄妙な道に入る関門」からできた言葉。玄は深い悟りの境地=仏教、関は関所という意味

・「うんたらかんたら」…密教のサンスクリット語で書かれたお経に「ウンタラタ、カンマン」というフレーズがありそのお経になじみのない人がこの部分しか聞き取れなかったことから、内容を正確に覚えていない時などに使うように

・「超」…「超〇〇〇」などと「すごく」の意味でつかわれますが、「超」は仏教で限界を超えた無限の

世界を会得した完全な悟りを意味し、また、「すべての人間に通じる」という意味もあります

 

 このように我々の言葉や生活の場には、意外なところに宗教の影響をうけた部分があるようです。

 仮にですが、例えばこれらを踏まえたうえで、

 

「きのうさー、家に帰って玄関あけたら母ちゃんがカルピス飲みながらうんたらかんたら説教はじめちゃってさー、マジで超だるかったんだよー」

 

などとのたまう若者がいたら、その若者は仏の世界に片足を踏み込んでいるのと同義ではないでしょうか?(※違います)

少し話がそれましたが、このコラムをご覧の方の中には自分は無宗教だから宗教とは無縁に生きている。と思っておられる方も多いのではないでしょうか? ですが、長く続いている宗教というのは意外なところで我々の生活に溶け込み、日々の生活に密接にかかわっているものもあります。

今回は仏教由来の言葉をほんの少しご紹介しましたが、調べれば多種多様な宗教の痕跡が見つかるかもしれません。

何気ない日常を、たまにはいつもと違う視点で眺めてみるのも面白いかもしれませんね。

 

かずやコスメディア 北原


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