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2024.06.25コラム

とうとう暑い夏がやって参りました・・・

毎年、記録を更新するような気温は歳を重ねるごとに負担も大きくなる一方です。

熱中症には充分に気をつけて乗り越えていきましょう

 

さて、今回は「座右の銘」についてお話をしたいと思います。

皆さんは「座右の銘」をお持ちでしょうか?

「座右の銘」とは一般に自分を励ましたり鼓舞したり、日頃から心に留めている言葉を指します。例えば、悩んだり迷ったり自信がなくなった時などに自分を導いてくれるような信念の言葉です。それは人それぞれですが四字熟語であったりことわざであったり、偉人の名言など自身の心に響く言葉を選ぶ方が多いようです。最近ではポジティブな意味で大谷翔平の「今日は憧れるのをやめましょう」なども響いた方も多いのではないでしょうか? ちなみに私は「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)です。(われ、ただ足ることを知る)とも読まれます。私は後者で響きました。(実は少年時代に読んだ漫画本に出てきた言葉だったのですが・・・)

元々の語源は「足るを知る」からきているようで、お釈迦さまの教えや中国の思想家の老子の言葉とされています。

 お釈迦さまの教えでは満足する気持ちを持ち、不満を感じず満ち足りた気持ちを持つことが大事で「足ることを知る人は心が穏やかであり、足ることを知らない人は心がいつも乱れている」と説かれています。また老子の言葉では「何事に対しても満足する意識を持つ事で精神的に豊かになり幸せな気持ちで生きていける」と説かれています。

 つまり、「吾唯足知」という言葉は「足知」からきていて、京都の「つくばい」にこの文字が彫られていることでも有名になっているようですね。

近年はものが豊かになり過ぎて、満足してもさらに煩悩が膨らみ、なかなか満たされることは難しくなってきているのは私だけでしょうか・・・?

注:決して傲慢になったり、成長を止める意味では使われていません。「与えられた環境の中でどう工夫をして最善を尽くすか」満足はできなくても満足出来るようにと私は解釈しました。

このように何かに頼る訳ではありませんが自身の感情をポジティブに保つために持っています。皆さんはどのような「座右の銘を」お持ちでしょうか?もし、お持ちでなければこれから探されてみてはいかがでしょう。もしかしたら明るい未来が見えてくるかもしれませんよ(^_^)

 

 ちなみに、「つくばい」とは日本庭園の一つであり露地(庭園)に設置され、茶室に入る前に手を清めるために置かれている背の低い手水鉢(ちょうずばちと読み、元来神前や仏前で口をすすぎ身を清める為の水を確保する器の事を言い、のちに茶道で用いられ露地に置かれると「つくばい」と呼ばれるようになった役石の事)を置いて趣(おもむき)を加えたもので、元々茶道の習わしで客人が這いつくばるように身を低くして手を清めたのが始まりだそうです。

 

かずやコスメディア田中英太郎


2024.06.12コラム

6月は梅雨の時期ということもあり星空を眺める機会は少ないかもしれませんが、雲に遮られ目には見えずとも、星々の光は絶えずそこに存在しているというのはよく知られている話です。特に意識していなくとも、ふと夜空を見上げた時に、雲の切れ間から覗く星明りに心が安らぐようになったのは、私も歳をとったということなのかもしれません。

 

星明りや月明りの他にも、高台から見下ろす街の灯り、多種多様な照明器具やキャンドルに至るまで「光」というのは人々に様々な感情を湧きあがらせることがあります。時としてそれは宗教的な意味合いを持つことも少なくはありません。

 

 キリスト教では宇宙の創造は「光あれ」という神の言葉で始まったとされ、仏教では光(光明)を仏の智慧の象徴と受け止め、この智慧の光には私たちの迷いを破る力があると説いています。それだけ、「光」というものには特別な力があると信じられていたということでしょう。

 

 かずやコスメディアの斎場がある玉名、荒尾、大牟田地域では浄土真宗の門徒の方が多くおられますが、ご自宅の仏壇にある本尊を仰ぎ見れば、阿弥陀如来の背後には「後光」がさしているのが分かると思います。

「後光」という言葉自体には複数の意味がありますが、仏や菩薩の身体から発する「光」としての「後光」が皆様にとってイメージしやすいものなのではないでしょうか。よく「後光がさして見える」という使い方をされますが、これは「仏さまが放つ光のように輝いて見える」という意味で使われます。相手に対して『本当にありがたい』と思うような状況、相手が『神々しい』と拝みたくなるような状況で、しばしば使われているようです。

 

 日常の会話の中にも溶け込んだ「後光」。実は意外なところにもその影響を受けたものが存在していることを皆様はご存じでしょうか?

 それが「あみだくじ」です。

 

「あみだくじ」が漢字で「阿弥陀籤」と書くことから、なんとなくお気づきの方もいらっしゃったかもしれません。

 皆様になじみのある「あみだくじ」の形状からは想像がつきづらいですが、元々は現在のはしご状ではなく、中心から放射状に広がる円形の形をしており、現在のくじの横線にあたるものもありませんでした。その形状が阿弥陀如来の「後光」のような形だったので「あみだくじ」と呼ばれるようになったというわけです。

 

 阿弥陀如来の発する「光」が言葉を変え、形を変えて庶民の生活の中に徐々に浸透していく様子は、そこに姿形はみえずとも、どこかから見守っていてくださっているという安心感を抱かせてくれるものなのかもしれません。

 つらく悲しい出来事にうつむき歩く人々の頭上に、ほのかに星明りが浮かんでいるように、気づいていないだけでいつもどこかで誰かが見守っていてくれる。そんな風に感じることができるなら、それはとても幸せなことなのかもしれません。

 

かずやコスメディア 北原


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