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2022.06.9コラム

皆さんは、通夜・葬儀を思い浮かべたときどのような光景を思い浮かべるでしょうか?

多くの方は、色とりどりの花に囲まれた祭壇を前に黒い喪服を着た参列者が集まっている光景を思い

浮かべるのではないでしょうか?白い服を着た人なんて想像もしない事でしょう。

しかし実際には『白い喪服』も存在していたことを皆さんはご存じでしたか?

そんな馬鹿な! 白装束を着るのは亡くなった故人でしょ?と思う事でしょう。

しかし日本では明治の初期から戦後までは、一般階級や武士階級の喪服といえば『白』だったのです。

 

ホラー映画に出てくる幽霊はなぜ決まって白い服を着ているのか?

おじいちゃんの横で何となく見ていた時代劇で切腹する武士はなぜ白い着物を着ていたのか?

私自身も幼い頃に何となく疑問に思ったものです。

それは、『白』は死を意味していたからまたは、連想されたから

これは、かつて東洋において、「死」「再生」を表す色が白だったからだと考えられています。

昔の考えとして諸説ありますが、死による穢れを絶つ(現在では死は穢れではない)という意味を込めて

また、故人の妻が着ていた場合には故人の白装束に合わせるという意味の他に『もう誰の妻にもなりません』という意思を表すものでもあったそうです。

昔は、衣装のレンタルなどがない時代、結婚式の白無垢を大切にとっておき夫の葬儀になったら袖を詰め喪服として使っていたという歴史もあったそうです。

2012年に亡くなられた歌舞伎俳優の中村勘三郎さんの葬儀にて奥様が白い喪服を着ておられたのはそういった意味が含まれての事ではなかったのでしょうか。

また、故人に着せる『死装束』にも、白い着物『白装束』を着せていました。この風習は現在も変わっていないので見たことある方も多いのではないでしょうか。

 

日本において、初めて喪服が登場したのは奈良時代と言われています。

日本書記によれば当時の日本の葬儀では、故人の親族や参列者は白い喪服を着用することが通例だったようです。一般庶民の喪服は以後千年以上にわたって白が主流でした。

しかし、公家や貴族といった上流階級の人々はどうだったかというと、同じく白を着用していましたが

718年の『養老喪葬令』において、天皇が錫紵(しゃくじょ)と呼ばれる薄墨色の麻の細布衣を喪服として

着用するようになったのをきっかけに、上流階級にも薄墨色が広がり、時がたつにつれて墨染めの色は濃くなり平安後期には黒の喪服が着られるようになったそうです。

 

では、なぜ現代では喪服の色は黒が一般的になったのでしょうか?

1987年に、初代内務郷を務めた大久保利通が暗殺されます。

大久保利通の葬儀は欧米諸国の国賓から注目されました。

それらを考慮した明治政府から『参列者は喪服を黒で統一する事』とのお達しがありました。

また、その後皇室の葬儀に参列した欧米諸国の賓客たちが、西洋王室式の黒い喪服を着用していた

事もあり上流階級の人々の間では黒い喪服がスタンダードになっていきました。

しかし、一般庶民にはまだ黒の喪服は浸透していませんでした。それが変わったのが太平洋戦争の激動の時代です。

当時の喪服はレンタルが一般的でした。白と黒の喪服が混在していました。太平洋戦争によって戦死者が増え喪服レンタルの頻度が急増しました。そこで困ったのが貸衣装店

貸し出す頻度が多くなると白い喪服は汚れが目立つ。今のようにクリーニングの設備も無い、もちろん

全自動洗濯機やきれいに汚れの落ちる漂白剤や洗剤もない時代、すぐに使い物にならなくなってしまうことは容易に想像できます。

そこで、貸衣装店は汚れの目立ちにくい黒の礼服を揃えるようになっていきました。その後自然と黒い喪服が一般にも広まっていきました。(諸説あり)

しかし、現在も富山や埼玉の一部地域では白の喪服を着用する地域も存在するそうです。

日本の喪服には明治以降に西洋文化の影響を受け日本が西洋文化を取り入れ国家として成長していったことと太平洋大戦という激動の時代が背景にあったのです。

普段何気に思い込んでいた喪服は黒という文化も日本の歴史の蓋を開けてみれば最近の出来事だった

とは少し驚いてしまいませんか?

文化、伝統とはひも解いてみれば意外とそんな事が多いのかもしれません。

このコラムが皆様の雑学の糧になり、少しでも得意顔で話せるネタになれば幸いです。

※雑学は時と場合によっては逆効果になりますのでご注意を。

 

かずやコスメディア 東


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