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2024.08.8コラム

皆様 例年にない猛暑が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

前回に引き続き葬儀の歴史を掘り下げていこうと思いますので、よろしければ

お付き合いください。

 

古代において人々は、死者を丁重に扱うと共に、食事を供するなど死者を生きている者と同様に扱っていたといいます。

現代の様に医師がきちんと死を判定するのとは異なり、古代においては死が いつであるのか必ずしも特定できませんでした。

古代では死は「プロセス」であったということがいえそうです。

 人が死んだという事実を周囲の人々が納得するには、一定の時間がかかったのです。

ですから、死んだと認められてもすぐに遺体を処理してしまうのではなく、一定期間は「生きているように」扱ったそうです。

 

このように殯(もがり){※前回のコラムを参照ください}は生と死の境界線の期間であったといえます。 わざわざ別に喪屋を作って遺体を安置したのは、遺体の腐敗が始まるためでしょう。 現在の通夜は昔の殯の遺習であるとも言われています。

 

また死者の霊を慰めるために歌舞(かぶ)を行ったのは、死霊は荒ぶるもので、生きている者へ厄難をおよぼしかねないと考えられていたため、その霊を鎮める必要があったからだと考えられています。

「古事記」には死後の世界である「黄泉の国」についての記述があります。

そこは腐乱した死体に蛆が たかる汚い世界として描かれています。 死の世界は恐ろしく生きている者達を引きずりこむ力を持ったものという考えが出てきます。 つまり死は穢れており、死霊は生きている者を死の世界に引きずりこもうとする恐ろしいものだと考えられていたのです。

 古代の葬儀観には 死者を大切にするという考え方と、死を穢れているものとして恐怖するという考え方、この矛盾する二つの考え方が併存しているのを見てとることができます。

 

 こうした死や死霊への恐怖は はるか昔からあったと思われます。 文献に登場する はるか前、縄文時代の墳墓を発掘すると、遺体は今の様に身体を伸ばした状態で葬る「伸展葬」も見られますが、腕を曲げ膝を折った「屈葬」が はるかに多く見られます。 また、遺体の上に石を置いた形で埋葬されたもの(抱石葬)もあります。 こうした方法がとられたのは死霊への恐怖が原因だと考えられています。

 

 今回は以上となります。

次回は学校の教科書で習ったような内容にも触れていく予定です。 最後までお付き合い頂きありがとうございました。

 

かずやコスメディア 山路


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