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2022.09.8コラム

某仏具店のCMで『手と手をあわせてしあわせ なーむー』でおなじみの『合掌』

ちなみに調べたところ歴代3人で通称『しあわせ少女』というそうです。

 

さて、皆さんは約18年前に放送された『世界の中心で愛を叫ぶ』というドラマをご存じでしょうか?

その一場面で母親が主人公の息子に『じいちゃんと相談しなさい』と伝え、主人公は仏壇の前に座り、線香を上げて合掌をしながら、亡くなったおじいちゃんと会話するかのように悩みを語りかけるというシーンがありました。10代後半だった私はごく自然なことだと何気なく見ていました。

しかし、この業界に来て色々と勉強する上で、海外の人からするとそのシーンは理解することが難しい事を知り驚きました。なぜ日本人は様々な場面で合掌をするのか?少し私なりに考えてみたいとおもいます。

 

これだけ日本人に染み付いた合掌という所作法は、仏教が生まれたインドで発祥しました。

日本には仏教伝来とともに伝わったとされています。

仏教徒が掌や指を合わせて、仏や菩薩(悟りを求め、衆生を救うために修行を重ねるもの)などを拝むこと。

諸説ありますが、右手には『仏』左手には『自分(衆生)』合わせることで仏への帰依を表す表現にとなったものだと言われています。

 

日本においては神社仏閣に参拝するときの合掌は、インド元来の合掌の意味と同じかと思いますが、無き人に向けた合掌、食前・食後の『いただきます』や『ごちそうさま』の合掌、『ありがとう』の感謝を伝える合掌、頼みごとをするときの合掌など多岐にわたって日本独自の合掌に感じます。

 

では、日本人の合掌とはなんなのでしょうか?

単純に合掌の英訳をGoogleで検索すると『palms together』palms=手のひら together=一緒 と出てきます。

間違ってはいませんがこれでは動作の中に浸透する日本独自の合掌の意味がまったく伝わりません。

日本の合掌は、インド元来の仏様や菩薩様を拝む習慣に、神仏などの目に見えない存在や力への畏敬の念が加わり日本独自に発展していったものではないでしょうか。

『すべては当たり前』や『生きている』などの自分自身の驕り(おごり)ではなく『目には見えない力に生かされている』という考えに『感謝』『尊さ』『尊敬』などの様々な思いが湧き起こり、これらの想いが日本人の合掌となって体現されているのではないでしょうか。

 

『目には見えない働きへの感謝の体現』=『合掌』

 

この感謝の体現が習慣化している日本は本当に優しい精神文化の持ち主ではないでしょうか?

 

インドから仏教と共に伝来した合掌は日本人の生活に深く根ざした作法になりました。

日常生活でも感謝や敬意を表すために、故人に対しては安らかな眠りを仏に願い、どのような時も

心を込めた合掌で想いを伝えていただければと思います。

 

かずやコスメディア 東


2022.09.1コラム

大切な人を亡くした時、皆様はキチンと弱音を吐けましたか?涙を流せましたか?

 

 

 

東日本大震災、2011年3月11日14時46分18.1秒に発生した東北地方太平洋沖地震。

 

多くの人に悲しい記憶を刻んだ忌まわしい出来事。特に被害の大きかった宮城県石巻市では、曹洞宗通大寺住職の金田諦應さんの発案の元、移動傾聴喫茶「カフェ・デ・モンク」が開かれた。

 

うどんの炊き出しから始まったこの活動は、今では色とりどりのスイーツや香り高いコーヒーで「場」をほぐし、宗教者らが被災者らの苦悩に耳を傾ける事を目的としている。

 

大変素晴らしい活動と思いますが、そもそも何故この様な活動が必要だと、金田住職は考えたのか?

 

それをこの場を借りて、少し話させて頂きます。

 

震災直後、宮城県から栗原市に遺体の受け入れの要請があり、200を超える遺体が運び込まれる事になりました。

 

石巻、南三陸町、気仙沼、陸前高田などでの沿岸部の地域の火葬場が地震と津波によって壊滅したからです。この情報を知った金田住職は火葬場へと駆け付け、沿岸部の宗教者に代わって、希望される遺族には遺体へ向かって読経する読経ボランティアの活動を始めました。

 

ボランティア活動の最初の遺体は、小学5年生の女子児童二人であり、金田住職は声が震えて読経が出来なかったそうです。

 

そうした日々の中、金田住職は次に震災後四九日にあたる日に、同宗派の僧侶九人とキリスト教牧師一人の計十人に呼びかけ、被災地の追悼行脚を始めました。

 

しかし被災地の惨状と煙と遺体の匂いに衝撃を受け、宗教者としての無力感を感じ「今後一切、法衣を着て被災地には入らない。この被災地の現実に向き合う為には宗教や宗派の違いは意味がない。被災者の方々たちの苦悩にはそれまでの肩書とか立場なんかは用をなさない。自分自身のあらゆるフレームを取り払い、ありのままの現実と向き合う」と決心したそうです。

 

その5ヶ月後、被災者に対しての傾聴活動を行う「カフェ・デ・モンク」を主催しました。

 

被災によって凍ってしまった時間・感情を、解きほぐす必要を強く感じたのです。

 

人の営みとは笑い、泣き、怒る、喜び、そんな感情を動きそのものです。しかし金田住職が訪れた避難所では、誰もが心を閉ざし、喜怒哀楽がない印象を受け、とにかく何らかの方法で心を揺さぶり、泣いたり笑ったりして貰う必要性を感じました。

 

その方法が「カフェ・デ・モンク」

 

カフェ・デ・モンクは移動式の喫茶店で、軽トラックにコーヒーやケーキなどの道具一式を詰め込み、様々な宗派の僧侶・牧師が週に一度仮設住宅などを訪問する形を取っていました。

 

勿論最初から被災者の方々が全てを話してくれるハズもなく、またそんな雰囲気もつくれません。だからこそ夢が一杯に詰まったケーキや美しい花々、沢山の飲み物をトラックに積んで持っていく事にしたのです。

 

ケーキを選んで貰いながらその日の気分や体調を聞いたりし、徐々に被災者の心の内を自然と出せる雰囲気作りに専心しました。

 

ただしそこでは「暇げで、軽みのある佇まいであること」をモットーに布教活動はおろか、仏教の話もしないことにしたそうです。

 

こうした金田住職らの努力により「カフェ・デ・モンク」人々に支持を受け、受け入れられる事になりました。金田住職は本当の宗教活動とはこういう事だったのかもしれないと、考えたとの事です。

 

カフェ・デ・モンクを利用した方の中には、「自分より大変な人がいるんだから」と思い出の詰まった自宅を津波で失っても弱音や涙を流せず苦しんでいた方もいましたが、話を聞いて貰っただけで楽になった。私も泣いて良いんだって思えるようになりました」と感謝の言葉を送っておられる人もいます。

 

この金田住職の傾聴の姿勢は、我々葬儀関係者も見習うべき姿勢と一つだと思われます。

 

確かに東日本大震災という大きな震災は、普段から起きている訳ではありません。しかし事の大小に関わらず、大事な人を亡くした人は例外なく傷ついています。

 

時に葬儀関係者も遺族の話をゆっくりと傾聴する事も、グリーフケアの一つだと言えるでしょう。

 

最後に金田住職のお言葉を綴り、この文を閉じさせていただきます。

 

『monkは英語でお坊さんのこと。平穏は日常に戻るには長い時間がかかると思います。あれこれ「文句」の一つもいいながら、ちょっと一息つきませんか?お坊さんもあなたの「文句」を聴きながら一緒に「悶苦」します』

 

~金田締應「傾聴のコツ―否定せず、遮らず、拒まず」三笠書房、電子書籍版、2018年より~

 

かずやコスメディア 高木


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