お知らせ

2023.05.6コラム

卒業式を終え、入学式も終えてやっとコロナ終息目前。いかがお過ごしでしょうか?

マスクの自由化と共にいろんなことが元に戻りつつも、その爪痕や影響は少々文化や、生活様式に変化をもたらしました。

私たち葬儀業界も例外ではありません。かつては一般葬がメインでご近所をはじめ、友人・知人、仕事関係、遺族の仕事関係まで参列されていました。

コロナウィルスが拡散する前から少しずつ家族葬と言う言葉が広がりつつも、コロナ禍になって一気に家族及び親族のみの葬儀へと変わり、今では家族葬が主流となり、お通夜やお葬儀の開式前に一般の方々はお参りして頂き、式中は親族のみで執り行われる形が多くなりました。またコロナが広がらない事を祈るばかりです・・・

 

さて今回は「傾聴」と言う言葉について記載したいと思います。

私たちの業界では「けいちょう」と言えば「慶弔」の方が馴染んでいるかもしれませんが、今回は傾けて聴く方の「傾聴」です。

では何を傾けて聴くのか?

「傾聴」の場合、「耳」「目」「心」を傾けて真摯な姿勢で相手の話を聴くこと。

 

では「きく」とはそれぞれ漢字によって意味が異なります。

 ・ 【訊く】ask 尋ねる、問う、取り調べる

 ・ 【聞く】hear 聞こえる 聞いている 声が耳に入る

 ・ 【聴く】listen 聴こうと努力する 相手の言いたいことを聴く

そう、ここで「傾聴」とは相手の話、声、表情、しぐさ、など、相手が今、どのような精神状態や気持ちでいるかをくみ取り、相手の話を、相手の立場に立って、相手の気持ちに共感しながら理解しようとし、肯定的な関心を持って聴くコミュニケーションの事を言います。

 

私が学生時代、アルバイト先のオーナーさんに口酸っぱく教えられていた言葉があります。それは「聞き上手は話し上手だよ」でした。話し上手になるには、聞き上手にならなければダメだよ。と・・・

別に話し上手になりたかったわけでは無かったのですが・・・

確かに、聴き下手な人は話し下手であることは理解できます。反対に話し下手は聴き下手でもある事も納得できます。話が面白くないですもんね・・・

相手の話を聴かず、こちらの話ばかりをしてはなかなか心を許してはもらえません。

 

私達、お葬儀に携わる者として、まさに「傾聴」が求められるお仕事です。接するお相手は最も大切な方とのお別れに際し、その悲しみの中で葬儀のプランニングをしなければなりません。

初対面で、短時間でのプランニング。ご遺族に寄り添い、グリーフケアをしながら打ち合わせを進めます。そこで最も重要な事は、葬儀の内容を一方的に推し進めるのではなく、ご遺族様の悲嘆を受け入れ、共感し、寄り添い、理解を深めて進めていく事が重要になってきます。まずは、一つを問いかけ、十の話を聴かせていただく。私はそんな心構えでこれからも寄り添わせていただきたいと思います。その節はどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

かずやコスメディア 田中英太郎


2023.04.26コラム

年代によって思うところはまちまちであると思いますが、30代後半の私としては、使ったことはなくても、聞いたことはある。そんなフレーズの代表格、それが「あたり前田のクラッカー」。

 まれに年を重ねた壮年のおじさま達が口に出しては涼やかな風を運んでくれる、清涼剤のようなフレーズですが、最近ではあまり耳にすることはなくなってまいりました。

 元々はコメディ番組「てなもんや三度笠」で俳優の藤田まことさんがクラッカーを手に持って言ったセリフとのことですが、なんと1962年の出来事だそうです。そう考えますと、半世紀以上にわたって生き続けているフレーズということになり、耳にする機会が減ったとはいえ、なかなかにすごいことなのではないでしょうか。ちなみに、前田製菓のクラッカーもロングセラー商品として今もスーパーなどに並んでいるそうです。九州で買えるのかは存じませんが、機会があれば一度手にとってみてはいかがでしょうか?

今更ですが「あたりまえ」と「前田製菓のクラッカー」で「あたり前田のクラッカー」なわけです。少し安直な気もしますが、そこがいいのかもしれません。

ちなみにこの「あたりまえ」という言葉、みなさんはどう思われますか。

実は以前、私の担当する喪家様の通夜のなかで、とある寺院のご住職がこの「あたりまえ」について語っておられました。

曰く、「あたりまえ」とは「ありがとう」の対極にあるものだということです。

考えてみれば、日常の中で「ありがとう」と伝える場面はいくらでもあるのだと思います。

私の場合ですと、例えば妻に対して、いつもご飯を作ってくれてありがとう、子供の面倒を見てくれてありがとう、一緒にいてくれてありがとう…等々。

一緒に生活をはじめて最初のころは伝えていた「ありがとう」もいつのまにかそれが「あたりまえ」になってしまうと言わなくなってしまう。皆様にもそのような経験はないでしょうか?

ご飯を作ってくれてあたりまえ、子供の面倒を見るのはあたりまえ、一緒にいるのはあたりまえ…。

しかしそれは、あたりまえのことではないんですよ。とても尊いことなんですよ。そのように、ご住職はおっしゃられておられました。

少々耳に痛いところもありましたが、その夜帰宅して用意されている晩御飯を前に「ありがとう」と言ってみれば、帰ってくるのは「どういたしまして」との言葉。

照れくさくもありましたが、なるほどこれは尊い時間かもしれないと思った次第です。

よろしければ皆様も、身の回りにある「あたりまえ」をあらためて考えてみてはいかがでしょうか?

もしかすると、忘れかけている大事なものが見つかるかもしれません。

そんなことは言われなくてもわかっているぞ! という方は是非、声を大にしておっしゃってみてはどうでしょうか?

『そんなことは、あたり前田のクラッカー』

 

かずやコスメディア 北原


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